「片付けて、おうちに人を呼べるようにしたい」
「おうちがきれいだと褒められるようになりたい」
片付けて「こうしたい」と思うモノは、人それぞれにあると思います。
その「こうしたい」を叶えるために、不用なモノを手放していく片付けですが
私が、40代・50代の同年代の方に片付けすることで手放してほしい事は
モノと共に他のもあると思っています。
今回は、その事についてお話させていただきます。
○○べき思考
「重複するモノは減らそう」
「定番のモノを持つようにしよう」
「片付けする時には、収納に入っているモノを全部出そう」
「1年使っていないモノは不要なモノと考えよう」
片付けには、さまざまなルールがあります。
ですが、この1つ1つを考えていくと「○○べき」と言われているように感じます。
そう考えると、「そのルールに従わないと片付かない」という思いに駆られませんか?
そんなルールたちに翻弄されているという事は、自分にとっては、もしかしたら、どうでも良いことに必死で食らいつこうとしているのではないかと思うのです。
片付けは、人生の縮図だと私は考えています。
それを表現したような、私が好きなシャンプーのCMの内容をご紹介します。
「全部洗い流そう。社会人の髪の常識とか、学生らしい髪型をとか、母親らしくとか、私の髪は私が作るBe Hairself」
この言葉たちが表すように、片付けに置いても、○○べきを手放して、自分に出来る片付け方で片付けをすることを、考えてみてはどうでしょうか。
片付けの仕事を始めてから、ブログでも、片付けのレッスンでも、お伝えし続けていることですが「人のやり方に従うのではなく、自分の使いにくいとか戻しにくい」というような不都合を自分のやりやすい方法に変えていくという事につながるのです。
そうしていけば、自分の使いやすい状態にしていく事が出来るはずです。
モノのせいにする事
「収納が無いから」「使いにくいから」と片付かない理由を考えていませんか?
ですが、収納場所は自分の思い通りに形を変える事もできませんし、収納場所をゴムのように、伸ばして広げることもできませんよね。
変えられないモノに不満を持っても、実は、何の解決にもつながらないのです。
これも、人生において同じことが言えるのですが、「片付けて欲しいのに、片付けてくれないから散らかる」と片付けに興味がない人に、「片付けてくれない」と「何もしてくれない」ということは、実は、片付かない事を人のせいにしているということなのかもしれません。
モノや人のせいにしてしまうのは、とても簡単な事ですが、人やモノを変える事って出来ませんよね? その変わらないモノを変えようと、必死になるのではなく、そういう時には、自分の考え方を変えた方が、ずっとラクなはずですし、自分の成長にもつながるものです。
どんな風に自分を変えたらよいのでしょうか。それは、「片付かないのは家族のせい」と考えるのではなく、「片付けてくれないならば、片付けやすい状態を作ってみよう」とか「自分の持ち物だけは、整った場所にしよう」と言ったようにしてみてはどうでしょう。
このことを片付けに重ねると、収納が無いならば、「今ある収納に収まるようにモノの量を減らそう」とか「使いにくい収納は、使わないようにしよう」というように、変わらないモノにイライラしたり、気をもむのではなく、自分が機嫌よくいられる解釈をしていく事。つまりは、モノや人のせいにせずに、自分が変わっていく事。それが、一番手っ取り早い方法なのです。
完璧主義
日本人って、とても勤勉で、「毎日、きちんと掃除しなきゃ」「身なりをきちんと整えなきゃ」、「きちんとすることが正義」と言った風潮の中で生きてきたため、「ちゃんとする事は大事だ」と思っていることが多いと感じています。
そのために「ご飯は手作りしなきゃ」、「洗濯は毎日しなきゃ」、「掃除は毎日しなきゃ」という何となくの正義に振り回されていると思うのです。
片付けに重ねて言うならば、「収納用品に詰め替えなきゃ、片付けにならない」みたいなことに囚われて、そこに注視してしまって、上手くいかないなんてことも多いのです。
40代・50代は、もっと力を抜いて、たまには、コンビニ弁当だって良いと思いますし、「買ってきたお惣菜でもOK」、洗濯だって「毎日しなくても良い」と自分の許可を出しても良いと思います。
固定観念
自分の意と反した事が起こった時、「普通はさ・・・」なんて言葉を口にすることはありませんか?私も良く使ってしまう言葉ですが、その「普通」は、本当に「普通」の事なのでしょうか。
実は、その「普通」は、自分自身を基準にしたことに過ぎないのです。
この考え方も、片付けに重ねることが出来ます。
「普通はこれは使うモノ」「これは持っているのが当たり前」と思うモノはありませんか?しかし、その「普通」は、自分の中の固定観念であって、実際には持っていなくても、使わなくても良いものである場合もあるんです。
私達は、気付かぬ間に「普通」と思いこんでしまっていますが、その固定観念が、私たちの判断を少しずつ狂わせているのではないかと思います。もし、その固定観念を手放すことが出来れば、もっと広い視野で物事を判断できたり、不用なモノを無くてもいいと判断が出来たりするのではないでしょうか。
まとめ
私達は、さまざまな気にしなくても良いことに縛られていると勘違いして、その結果、苦しんでいると思います。そういったことに気付き、不必要な縛りを手放していけば、もっと、ラクに片付けが出来るようになり、快適に暮らしていけると思います。そのためにも、まずは「片付け」から始めて、不必要なモノを手放し、心を軽くしていきましょう。